秘録・謀略宣伝ビラ―太平洋戦争の”紙の爆弾”

鈴木 明・山本 明 編/講談社

中国語で「ビラ」を意味するこの「伝単」という言葉は、日本軍の中でいつ頃・誰が最初に言い始めたのかわかっていない。

のちにこの言葉はあらゆる印刷物に対する俗称として使われるようになり、アメリカ軍が日本側に対して撒いた投降勧告ビラ、宣伝ビラ、新聞などの類までも総称して「伝単」と呼ぶようになってしまった。

米軍の撒いた伝単の多くは、一般市民もこれを拾って読むことを禁じられていたし、日本が作った対外用の伝単は国家の最高機密の一つであったため、大量に刷られたはずであったにもかかわらず現在では極めて入手困難である。

◆伝単はいかにして作られたか
―謀略宣伝ビラを作った男たちの物語―
・立ち遅れていたアメリカの情報戦略体制
・対日心理作戦に従事した日系アメリカ人
・オーストラリアにいた不思議な知日家
・ブリスベンで作られた二つの「新聞」…「時事週報」と「南太平洋週報」
・「新聞」制作に協力した孤独な日本人捕虜
・マニラで編集された「落下傘ニュース」
・「マリヤナ時報」とハワイの日本人捕虜
・ビルマ戦線に撒かれた「軍陣新聞」
・日本軍が制作した謀略宣伝ビラ

◆伝単はどう読まれたか?
-謀略宣伝ビラの系譜とその効果―
・日中戦争における両軍の心理作戦ビラ
・ヨーロッパ戦線で撒かれたビラの効用
・「天皇」には触れなかった連合国側のビラ
・在外日本人によって作られた「反日」ビラ
・戦術的用途か戦略的目的かで異なる内容
・どんな状況で効果を上げたか
・太平洋戦争最後のビラ

2,500 円